2023年後半の活動
- Toshiki Kogure
- 2024年10月2日
- 読了時間: 8分
更新日:1月12日
英語学習、動画編集、大会運営などに意識が向いている時期が続いたのと、OESが終わった後の燃え尽きのせいか、2023年後半からちょっとしたスランプに陥りました。それでも大会は続きます。
1. 全日本選手権
2022年の敗北があり、今回は挑戦者としての参加でした。しかし、ここ最近の目標は世界大会での優勝にあったため、どうしても日本一になりたい、という気持ちにはなれませんでした。さらに、この年はEGOKと日程が近くなってしまい、練習に集中するのが難しかったです。
2023年5月からの練習時間の低下傾向も相まってか、7月から全日本前までのクラブレースでは前を安定して走れなくなっていました。
私のスランプにはお構いなく、参加者は少ないものの優勝候補が勢揃いしました。年始のクラチャンで優勝を争った優月さん、FC RICHさん、前回の優勝者muimuiさん、OESファイナリストYukoさん、世界選手権デビューの新星Kazukiさん、直近のクラブレースで優勝しているVegasさん、Flying_BOSSさんなど、今年は本当に誰が優勝するか予想がつかない年でした。
私はR1からつまづきました。この展開は全日本では恒例になっているので驚きませんでしたが、R2もつまづくと既視感がありました。OESと同じ展開。その後ちょっと良いレースとちょっと悪いレースが交互に続くところまで同じでした。R6以降の王者決定レースには7位で進出。そこからも微妙な順位が続き、総合5位に終わりました。
悔しさよりも、このままだと世界選手権がまずいという焦りが強まるばかりでした。

・録画
・バルクヘッドマガジン記事
2. 世界選手権 (準決勝&決勝)
全日本選手権とEGOKが終わったあと、すぐさま練習時間を増やしました。クラブレースもたくさんやりました。練習を重ねれば重ねるほど、ヨットレースが分からなくなり、特にスタートのときにどう動けばいいのか分からなくなりました。いっこうにうまくならないので、心がすさみました。
幸運にも、VRIのアプデ後の不具合などにより、プレイオフファイナルが延期になり、9月上旬に予定されていた準決勝も延期になりました。
ただ練習するだけでは現状を変えられないと考えた私は、自分の動画を見て復習したり、他の人の動画を見たり、2D視点のみで練習したり、スマホで練習したりと、とにかくやることを変えました。
練習の結果、少しだけ調子を取り戻せた気はしても自信はそんなにない状態で準決勝を迎えました。当日は通信の調子が悪く、PCがネットにつながらなかったので、スマホで参加しました。
R1、R2のスロースタートは今年のトレンドなのか、ここまでくると笑える余裕まで出てきました。自信がほどよくなかったため、力がほどよく抜けていたのがよかったのか、R3からは急に3位が3回続きました。最後の2レースに進めただけでなく、これでいっきに決勝進出に近づきました。
アプデ後のバグによる船の急変針や瞬間移動は直っておらず、他のプレイヤーの何人かから、そのバグによって順位が下がったという報告がちらほら出ていました。
私はR5まではほとんど影響を受けなかったのですが、R6のF50でスタート直前に出くわして上を向いてしまい、そもそもあまりうまくなかったスタートが、さらに悪くなってしまいました。しかし、そこから大きなミスやバグはなく10位まで戻れたので、さらに決勝進出に一歩近づきました。
最終レースは下からの最高なスタートでしたがノーレースになりました。やりなおし後はスタートからフリートに埋もれる展開で、1下で順位を落とした記憶があります。そこから後ろのほうを怯えながら走りましたが、なんとか総合7位で決勝進出を決めました。

・大会後に書いたブログ
・バルクヘッドマガジン記事
決勝の舞台は、イタリアのトリエステ。決勝の日程が先に決まっていて準決勝が延期になったため、決勝まで2週間ほどしかありませんでした。
FC RICHさん、muimuiさんと羽田空港で出会ってから、向こうで試合をして日本に帰ってくるまでのあれやこれやは写真とともにブログにまとめていて、あとでリンクを載せておくので興味のある方はそちらもご覧ください。
準決勝から決勝までも短かったですが、イタリアについてから決勝開始までの時間も約16時間と短かったです。宿についてから9時間半後には会場でリハーサルという、OESとは比べものにならない早さでした。飛行機での質も量も不十分な睡眠と時差ぼけから立ち直るには足りませんでした。
ところが朝短い睡眠から目覚めると、眠気はさほど感じず、時差ぼけもそこまでないように感じました。午前中のリハーサルのときも、多少眠い程度でした。そのまま順調に行けば試合はなんとかなりそうでしたが、昼食の宅配ピザが重く、食べすぎと睡眠不足が合わさって、試合直前になって眠くなりはじめました。頭も重くなってきました。
レースが終わったら一刻も早く宿で横になりたいと思いながら臨んだR1は、スタートが決まってまさかの1位。ここ最近のトレンドから外れる予想外の展開に戸惑いました。
これは優勝も狙えるかもと期待しましたが、ますます重くなる目蓋に抗うことができず、会場内を飛び回る蚊にもいらいらさせられ、R2以降は鳴かず飛ばずでした。
メダルレースの前にプロテスト案件があり長い待機時間がありました。上位入賞の望みはなかったのでまったくドキドキしていませんでした。ただひたすらにウトウトしていました。カメラが回っていて、インタビューも回ってきたのでさすがに机に伏せることはできず、起きていました。
その待ち時間が長すぎたせいか、インタビューで緊張したせいか、ちょっとだけ目が覚めて、最終レースをやりました。本船側からいい感じにスタートできて、1位でフィニッシュしました。
最低でもOESよりいい順位を取りたかったので、総合8位は不本意でした。体調不良よりも睡眠不足のほうがパフォーマンスに影響を及ぼすのかもしれません。

・配信アーカイブ
・大会後に書いたブログ
・バルクヘッドマガジン記事
3. ネーションズカップ
この年は8か国の参加となりました。昨年の15か国から激減した背景には、各国セーリング連盟の財政事情が関係しているようです。JSAFの働きのおかげで、日本チームは参加できました。
これまでベスト4を占めていたイギリス、スペインが離脱し、日本はさらに選手層が厚くなってきたことで、ベスト4やそれ以上になる期待が高まりました。
8か国が2グループに分かれ、上位2か国ずつが決勝トーナメントに進出するフォーマットでした。日本はグループAで、フランス、スイス、ドイツと同じグループでした。
初戦のスイス、2戦目のドイツは、2本取られてから3本取りかえして勝ちました。メンバーは揃っているのに、なかなか余裕のある展開にならなかったのは想定外でした。
3戦目のフランスに4本以上取って勝てばグループ1位通過でしたが、1本も取れずに負けました。レース内容も接戦といえる接戦は少なく、実力差を思いしらされました。
グループAを2位で通過して、グループB1位通過のイタリアと当たりました。
序盤に3本連続で取らつつ、4試合目で1本取りかえしました。5試合目も日本がスタート時は若干優勢に見えましたが、私が1レグ中に通信切断でDSQになったことによって苦境に立たされ、そのまま取られてしまいました。
そこで勢いに乗れなかったからか、6試合目も落として勝負がつきました。そこから3本取りかえし、最終結果だけ見れば接戦でした。私のDSQの影響の大きさもそれによって際立ちました。運に見放されました。
3位決定戦の相手はポーランドでした。最初の5試合で相手に4本取られたときは、正直もうビビらなくなっていました。私はミスが続出していましたが、そこからはミスを帳消しできるくらいには貢献して、他のメンバーも調子が出てきて4本取りかえし逆転しました。
強豪国不在かつ、危ない試合ばかりでしたが、なんとか記録に残る3位に入賞できたのは、よかったです。でも決して満足はしていません。
vsポーランド
4. 日本VRIクラブチャンピオンシップ (2023年大会)
4回目となるこの回は、VRIにアリーナを使わせてもらい、ロングコースを21艇以上で5レース1カットというシンプルなフォーマットにしました。3大会ぶりに12月開催でした。
当日は国内トップランカーから、大会初参加のプレイヤーまで幅広く30艇集まり、ボイスチャットも開放しながらレースをしました。
私はネーションズカップの悔しさのあとでモチベーションが上がりそうなものですが、VRIのアプデでPCでの操作が不便になったことや、動画作成に時間をかけていたことがあって、練習に身が入らず、勝ちたいどころか、楽しみたいという気持ちも例年より薄かった気がします。ただ参加するだけになってしまいました。
アリーナを使うのでフルヘルプになってしまうのも、気が乗らない原因だったかもしれません。
ロングコースの練習をしたときに全然うまくいかなかったのもあって、自信はありませんでした。また、2023年から始まった強固なジンクスとして、奇数月は結果が出て、偶数月は結果がいまいち、というものがあり、この大会はなんとなくだめな気がしていました。
スタートはどれも微妙で、後ろから少し上げる展開が続きました。飛びぬけて良いレースも飛びぬけて悪いレースもなく、総合9位に終わりました。優勝争いをしている人たちが楽しそうでした。

・成績表全体
・録画
この回から優勝カップを用意し、優勝者に渡しにいきました。ついでにインタビューも行いました。
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