2023年前半の活動
- Toshiki Kogure
- 2024年9月29日
- 読了時間: 11分
更新日:2024年10月26日
この年はeセーリングでもそれ以外でも多くのことが起こって、これまでの人生の中で最も印象に残った年かもしれません。
eセーリングだけでも話題が多く、記憶も新しいので、半年分ずつ記事を書いていきます。
早朝や微妙な時間の大会に対応しやすくするため、この年の1月下旬に一人暮らしを始めました。そして6、7月には人生初の英検を受けることになり、年明けあたりから英語学習にスパートをかけていました。
1. 日本VRIクラブチャンピオンシップ (2022年大会)
前回に引き続き、第3回のクラチャンも年明け開催となりました。ちなみにこの大会が、私が小さい頃からずっと住んでいた家から参加する最後のeセーリング大会となりました。
この回のフォーマットは、すべてフリートレースにしました。それだけなら普通のレースですが、普通のままでは終われません。
eセーリングの一般的な大会は天候に左右されないため、何レース行うか、どの艇種をどのコースで行うかがあらかじめすべて決まっています。
なら、何レース行うかも、どの艇種をどのコースで行うかも、大会進行中に決まる大会がおもしろそうだと思い、そういうフォーマットにしました。
まず最終予告時間を設け、それ以降にレースが1回終わった瞬間、そのレースを最終レースにすることにしました。4レースごとに1カットにして、実施できたレース数に応じてカット数が変わる仕様なのも、リアルセーリングに寄せたかったからです。
そして、各レースの艇種・コース・風速はどうするかというと、前のレースの1位が好きに選ぶ、というものにしました。R1だけは、前回の優勝者として私が選びました。あらゆるレース設定への対応力が鍵を握るフォーマットでした。
前のレースで1位になった人は、自分の得意な設定を選ぶか、競争相手が苦手そうな設定を選ぶか、全体的に荒れそうな設定にするか、レース設定の範囲でレース時間を調整してレース数を減らそうとしたり増やそうとしたりするかなど、いろいろな戦略が取れます。
JSAF主催の全日本選手権とは違い、参加費無料でJSAF会員でなくても参加できるようにしたので、2022年の全日本には出場しなかった優月さん、FC RICHさんも参加してくれました。新全日本王者のmuimuiさんも参加してくれたので、役者はほとんど出揃いました。
このフォーマットとこのメンバーの中で勝てれば、真の日本一を名乗れるように思ったので、私は多少気合いが入ってましたが、3連覇という記録はあまり現実味がなく、やっぱりお祭りだとも思っているので、レースを楽しもうという気持ちで臨みました。
クラチャンは毎回、運営業務(おもにスコア入力)をしながら参加しているので、今回もスコア係で、他の運営陣とボイスチャットでしゃべりながら気楽にレースしてました。
序盤から調子のよかったFC RICHさんに追いつき、後半ものすごいペースで追い上げてくる優月さんからは逃げきり、この2人とはわずか1点差でかろうじて優勝することができました。VIP機能もヘルプもなしで勝てたのは、とても気持ちよかったです。

・Vegasさん作 順位変動グラフ

大会の映像を残せなかったのは残念ですが、Kazi2023年4月号にレポートを取り上げていただいたので、興味のある方はチェックしてみてください。
2. 世界選手権 (Winter Season)
前年のフォーマットとほとんど変わらずに、2023年の世界選手権も進んでいきました。

早くセミファイナル進出を決めておいて損はないので、1つめのWinter Seasonから参加し、シーズン決勝に進出しました。ちなみに、一人暮らしを始めたあたりから新しいノートPCでVRIをプレイすることが増え、このシーズン決勝もたしかPCで参戦しました。
昨年のシーズン決勝の経験から、あまり力を入れてやらなくても10位以上になれる自信があったので、なんとかなるだろうと思いながら臨みました。
そしたらR1で1位、R2も1位と、やたらスタートがうまくいって暫定トップに立っていました。フリートシャッフル後のR3で10点とミスしたものの、その後もシングルを取り続けて上位をキープ。
最後のレースはスタートで失敗して1上まではかなり後ろのほうを走っていましたが、1下でうまく立ち回ったおかげで最終的に8位まで回復しました。
唯一同じくらいの点数で競っていたHidde - RSは1上まで自分の前にいたものの、ミスが重なったのか順位を落とし、そのおかげで1位になることができました。
2022年の世界選手権優勝者 Alex - RSの追い上げからも逃げきり、その他にも多くのファイナリスト常連や日本のライバルたちにも勝てたので、これは世界一にほぼ匹敵する結果なんじゃないかと、勝手にとても喜んでいました。

・成績表フル (1~39位)
後日談)VRIの中の人にコメントと写真が欲しい言われて、手頃な写真がなかったので急きょ家で自撮り写真を用意したら、VRIのメールマガジンで流れてきたり、海外のセーリングメディアにも載せられたりしました。顔色そんなよくなさそうだし地味だし、恥ずかしかったです。
・Sail-World記事
ちなみにこの大会を最後に KG-R/Toshiki Kogure から改名し、現在の FUNe_KG-R にしました。チーム名は2022年のはじめ頃に決まっていたのですが、自分が考えたチーム名を付けるのが気恥ずかしくて付けずにいたら、この大会の結果報告時に所属会社に指摘されたので一瞬で付けました。
3. Olympic Esports Series (予選)
2023年といえばOlympic Esports Series(OES)、という方は多いのではないでしょうか。私としてもOESは忘れられない大会です。
2022年11月にOES決勝の開催日と開催場所(2023/6/22-25, シンガポール)が発表されました。VRIはOlympic Virtual Series(OVS)でも採用されていたので、eセーリング界隈はざわつきはじめました。
そして2023年1月下旬、VRIのアプリ内にOESの予選レースの予告(約50日後)がいきなり出現するという確定演出がありました。
予選の詳細が発表されたのは3月の頭でした。
3月中旬から5月中旬まで毎週のように3日間の予選と上位10人の予選決勝があり、各予選決勝の1位が決勝進出。予選は全8回で、総合ランキング男女上位1名も決勝進出。というフォーマットでした。
決勝にはシンガポールのプレイヤーが1人ワイルドカードとして参加しましたが、予選が終わるまではそんな情報は出ておらず、決勝直前に明かされました。
予選1はNacra17。私は97.2点の4位で予選決勝に進出し、Yukoさん、FC RICHさん、優月さんも進出しました(優月さんは不参加)。
予選決勝では、1位を1回取ったものの、後ろを走るレースが多く、6位に終わりました。
Yukoさんは1位3回、2位1回の安定した走りで1位になり、シンガポール行きを決めました。
OESは予選でも予選決勝でもペナスタは規制されていませんでした。ペナスタをしても結果が出れば祝福される様子を間近で見て、複雑な気持ちになったのを覚えています。

予選2はLaser。私は80.7点の51位でした。いつもどおりペナスタに苦戦しての低得点でした。普通のスタートで90点以上取れる気がしないのに、ペナスタをしないGRE-9が予選通過し、予選決勝でもLaserが2回あるなかで成績をまとめて優勝したのは、永遠の謎です。尊敬しかないです。
予選3は49er。私は82.0点で36位でした。ちなみに各予選の結果は自分で記録を残しているわけではなく、優月さんが記録してJVRICで共有してくれたものを見て書いています。
OES予選はどの時間帯でもトップランカーたちが数人いるので、ペナスタの有無にかかわらずスコアが伸びにくいようでした。他の日本人プレイヤーも90点以上取ることがなかなかできていませんでした。
そんななか、予選2に続いてmuimuiさんが予選突破。予選決勝ではR4まで1位で、R5の途中まで総合1位だったのですが、1つのミスで惜しくも逆転されてしまいました。
予選4はJ/70。予選の記録は残っていませんが、私とFCさんが予選決勝に参加しました。
そんなに良くも悪くないレースが続き、R4終了時に2位につけました。1位のStipecoachとは5点差だったので望みはあったもののスタートで出遅れて、最終的に4位で終わりました。

ちなみに優勝したStipecoachは予定が合わずシンガポールに行けなかったため、2位以降の選手が繰り上げで出場権を得ることになりました。他にも予定が合わない人や、今後の予選で決勝進出を決める人が多くいて、9位のCavan Fyansが出場することになりました。
・配信アーカイブ
予選5のNacra17、予選6のLaserも記録が残っていませんが、私はどちらも予選敗退でした。こんなに予選を通過するのが難しいのかと、心が折れかけました。
予選5、6の決勝では、kazukiさんやJPN985さんが見せ場を作っていました。
予選7は49er。私はたしか11位で、上に1人決勝進出者がいたので予選突破し、ほぼラストチャンスのつもりで予選決勝に参加しました。
少し前に、OESの決勝出る出ないにかかわらず観戦しにいくように会社から言われていたので、シンガポールに行くことは決まっていたので、どうなってもいいかなという気持ちでした。おかげで睡眠の質もいい感じだったと思います。
R1で2位と、過去2回とは違う始まりに自分自身も戸惑いながら、R2も2位で、たまたまかなと思い、R3の1位でこれは大丈夫な日かもしれないと思いはじめました。
R4では自分だけレースに入れないバグが発生して、あわやDNCでしたが待っていただけました。サブアカに変えてようやくレース海面に入り、動揺もあってか4位とやや勢いが落ちたものの、2位のzemendesと5点差、3位のBartと10点差という好条件で最終レースを迎えました。
R5はzemendesとのマッチレースも考えましたが、相手がペナスタすることに備えて争わずにスタートしました。これも好スタートになり、風にも恵まれて1上1位になりました。そのまま最後まで順位を守り、決勝進出を決めました。
強敵揃いのなか、OES予選決勝優勝者のなかで一番少ない10点にまとめられたのは、かなり自信につながりました。
5レースともペナスタがあまり有利になりすぎない海面だったことと、ペナスタする人同士でつぶしあってくれたことが結果につながりました。

4. Olympic Esports Series (決勝)
決勝の舞台はシンガポール。
私にとって初めての海外だったので、パスポートを作成したり、海外旅行の心得やシンガポールのルールを調べたり、念入りに準備しました。
英語はちょうどこういうときのために勉強していて、英検二次対策で話す練習もしていたので、ある程度の会話なら何とかなりそうでした。
5月頃に一度風邪を引き、それ以来のどの痛みが出たり引っ込んだりしていましたが、医者に診てもらったり、市販薬で対処したりして、出発前にはほとんど治っていました。
Yukoさんとは羽田空港で合流しました。試合3日前の朝に現地入りして、その日の昼には試合のリハーサルがありました。4レースくらいやった気がしますが、ほとんどのレースで前を走れて、結果が期待できそうでした。
2日前は昼に写真撮影、夕方に開会式のリハーサル、夜にはアンチドーピング講習会がありました。
1日前は夕方に開会式と、eセーラー、eセーリング運営がほぼ全員集まったディナーがありました。
上記のイベント以外は自由時間だったので、VRIの練習や観光、ホテルでの休憩など自由でした。練習は、やりすぎて自信を失ったり焦ったりするのをきらって、あまり多くはやりませんでした。
当日の朝、体に異変が起こりました。のどが痛い。Yukoさんはシンガポールに来た初日か2日くらいにのどの痛みをうったえていて、現地の薬局で薬やトローチを買っていました。元々あったのどの症状が復活したか、Yukoさんにかぎらず多くの人と接する機会が多かったので誰かからもらったのかもしれません。
ホテルの部屋がやけに冷房が効いていて、切り忘れたか切っても勝手についてしまうかして、寝るときに体を冷やしてしまったことや、慣れない海外での疲れなどがたまったため、免疫力が低下していたのは確かだと思います。
のどが痛いだけでなく倦怠感もあり、午前中、会場の様子を見にいって、せっかくなのでゲーム体験などもしていたら余計にしんどくなってしまい、昼食後にホテルへ戻って横になっていました。部屋の外に出るときは、持ってきていたマスクをつけました。
休憩後も頭が重く、眠気もある状態で会場近くのスタンバイルームに行きました。
ステージ裏まで来ると、気合いが入り少し回復した気がします。
予選のときと同じように、ただ普段どおりやることにしました。すると1レース目からスタートで並び方を間違えて出遅れてほぼ最下位でした。
そのくらいはいつもあるので気にしすぎずR2に臨んだら、途中までかなり前のほうを走れました。しかし、2上マークのポートアプローチで3位から2位に上がる場面で、舵を少し早く切ってしまい、マークに衝突かつ回れてない判定となり、ほぼ最下位まで落ちました。
この時点で優勝はほぼ諦めて、なんとかして3位に入ることを願っていました。その後、良いレースもあったのですが、悪いレースがそこそこ悪く、メダルレース進出を逃しました。R7終了後、5位のGRE-9とは1点差でした。体調が万全じゃないわりには良い結果でした。

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・バルクヘッドマガジン記事
ちなみに大会の次の日は、昼ごろ会場の様子を少し見に行く以外は、悪化したせき・たん・倦怠感とホテルの自室で格闘。
2日後はYukoさんからもらった薬でちょっとましになったので、昼前から会場に足を運び、他種目の決勝やエキシビションを観戦しました。夜には閉会式に参加した後、射撃の選手とYukoさん以外の日本人選手全員で最後の晩餐を楽しみました。すぐ隣のテーブルでeセーラーの最後の晩餐も行われていて、すごく気まずかったのを覚えています。
その次の日の午前中にシンガポールを出ました。体調は若干回復したものの、飛行機に乗ったら耳が痛くなりました。
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