2020年の活動(思い出)
- Toshiki Kogure
- 2024年9月22日
- 読了時間: 9分
更新日:2024年10月26日
VRIに出会ったのは2019年からですが、そのときは日本人プレイヤーはごくわずかで、日本のコミュニティもなければ、全日本選手権もありませんでした。私が始めたのは9月だったので、その年の世界選手権予選はすでに終わっていました。
世界選手権決勝の動画を見たり賞金の存在を知って以来、来年(2020年)はぜひとも予選に参加したいと思いつつ、都立大ヨット部の現役部員だったので、リアルレースでもっと前を走れるようにとも思いながら緑レースで練習を重ねていました。
1. 世界選手権
緑レースで物足りなくなりつつあるなかで迎えた2020年2月、世界選手権の予選が始まりました。
予選は2月から9月まで続き、その間に毎週あるいはそれ以上のペースで実施される青レースのポイントがすべて累計され、世界ランキングの順位になります。
その上位1000人が、プレイオフという72時間・回数無制限の青レースへの出場権を獲得し、プレイオフの上位8名がグランドファイナル進出という、今とは大きく違ったフォーマットでした。
日本人プレイヤーは少なかった一方で、青レースで高得点を取る人は何人かいました。その中でも世界ランクで一番上位にいたのが、Sean Bondさん。
自分はたしか100~200位くらいからスタートした気がしますが、Seanさんは2桁の位置にいて、その背中は遠く感じました。私が始めるよりもずっと前からプレイしていたようで、もし2019年に全日本大会があれば優勝してたと思います。
名前が日本人離れしていたので、本当に日本の方かどうか疑いながらも、Seanさんを目標に青レースへの参加を続けました。
3月上旬までは大学の部活動もあり、できるレース数に限りがあったこともなかなか追いつけない要因となっていましたが、3月中旬ごろから新型コロナの影響により部員が対面で集まる形での部活動ができなくなったため、青レースに専念できるようになりました。部活動でもVRIばかりやっていました。この頃からノーヘルプスタイルを確立していきました。
スタートダッシュを切ったSeanさんは、プレイオフ進出さえできればいいという感じなのか少しペースを落としているうちに、私はSeanさんに追いつくためにペースを上げていきました。最後のインカレが行われるかどうか分からなかったので、eセーリングで何かしら結果を残して大学生活を終えたいと思っていました。
部活動も授業もほとんどなかったおかげで、しばらくしてSeanさんに追いつき、追いこしました。その前後のタイミングで、MPowerという海外のプレイヤーからVRI内でメッセージをもらい、Discord上のVRISC(現VISC)というVRIの国際コミュニティに誘われました。
世界中のトップランカーが集まって毎週のようにクラブレースを実施しているらしく、そこにはSeanさんもいました。そしてSeanさんが本当に日本人であることも分かりました。
その後そのクラブレースに毎週のように参加したり、日本人コミュニティ立ち上げの話をJSAFの方から持ちかけられたりするのですが、話を世界選手権に戻します。
練習を重ねたおかげで、青レースでは安定して高得点を取れるようになり、Laser(現ILCA)で1回だけ100点を取ることもできました。

そして予選期間が終わったときには、16位になっていました。これでプレイオフ進出。(実は予選が終わる少し前にeSail GPの予選で上位に入ったことでプレイオフ出場権を獲得していました)

夏前までは開催が危ぶまれていた個戦・インカレが実施されることになり、その直前の9月中旬にようやく部活動が再開でき、ほぼ練習なしで最後の関東個戦&インカレに出場しました。
プレイオフはその関東インカレが終わる前に行われたので、部活動と被ってしまい、満足するまでやりこむことはできませんでした。プレイオフのために夜更しをして体調を崩し、翌日の部活動は陸待ちすることになったりしました。
プレイオフの内容は、J/70→F50→Laserを24時間ずつで、連続した20レースの最高得点を競うという、多くのプレイヤーの神経を削るものでした。
この時代はペナルティスタート(ペナスタ)を取り締まるルールがなく、ペナスタをしたほうが有利な場面があったので、それをするプレイヤーが圧倒的に多かったです。私は反対派だったのでペナスタせず、特にLaserでは苦しめられました。
結果は41位でした。ハイスコア更新時は56レースのようですが、もうすこしレースした気がします。

2. 全日本選手権
VRISCに誘われた1、2週間後、世界ランクで日本人1位ということで、JSAFのGackyさんからVRI内でメッセージをいただきました。JSAFによる全日本選手権の計画や、ネーションズカップ参加の計画があることを知り、その準備として日本人コミュニティの作成に協力してくれないかという連絡でした。
それから少ししてGackyさん、JSAFeセーリング委員長の尾形さんやお手伝いのVegasさんなどとオンライン会議をして、VRISCと同様にDiscord上に日本VRIクラブ(JVRIC)を立ち上げ、Seanさんを始めとしたVRISCの日本人メンバーや、VRIでよく見る日本人プレイヤー、都立大の部員などを手当たり次第集めました。
JVRICでも毎週のようにクラブレースを開いて、プレイヤーとしての練習と、レース運営の練習を日本全体で積んでいきました。
9月中旬、たしか関東の女子レースと同じ日くらいに全日本選手権(EJC)の予選・決勝が行われました。予選は48名、決勝からはシード9名+Timothy Morishimaさんが参加し、合計で58名が参加しました。
ライバルはSean Bondさんと、もうひとりはSea man shipでした。Sea man shipは私と同じ大学の同期で、クラブレースや部内レースでよく負かされていたので、本当に脅威でした。また、予選組にとんでもない選手がいたらどうしようという不安もありました。
結果としては私が優勝しましたが、Seanさんの序盤2連続1位と全レースの安定感には、正直負けた感じがしています。1カットとメダルレースF50のダブルポイントというフォーマットに運よく救われただけです。
Sea man shipは関東の女子レースに出場した日の、帰宅途中の駅のホームから参加したらしく、悪条件が重なっての3位でした。私は女子レースの裏で陸で作業していただけで、当日は家で万全の状態でEJCを迎えていたので、いまだに勝った気がしてません。
この結果に誇れるところがあるとすれば、R1からR5までノーヘルプで臨んだことくらいです。Medal Raceは、Seanさんにリードされていたのと、F50のリコールや操船ミスを恐れたのとでフルヘルプにしてしまいました。

この大会についてはいくつか記事やブログがあります。以下の記事から配信アーカイブを見にいくこともできるので、よければご覧ください。
・バルクヘッドマガジン記事
・Vegasさん
3. eSail GP
世界選手権の青レースと並行して、eSail GPというイベントが行われました。リアルのSail GPとおおむね連動したスケジュールで行い、海面もSail GPに合わせて追加されていきました。今でこそ海面が多すぎて困っちゃうくらいですが、以前は10か所くらいしかなかった気がします。
Sail GPと同様のコースで行われ、リーチングスタートが特徴です。
たいした結果を残せていないので書くことはあまりありませんが、一度だけQualifier Final(予選決勝)に進出しそうになりました。(ランキング上位8名が進出。自分は下の画像の後、10位で終了)

4. ネーションズカップ
国別対抗戦とも呼ばれ、各国で結成されたナショナルチームがぶつかりあうチームレース形式の大会の第1回がこの年の10月、11月に行われました。日本チームのメンバーは全日本選手権の上位者から選ばれ、私も参加しました。
日本はチームレースの文化がそれほど根付いていなかったので、9月くらいからJVRICで練習していきました。
トーナメントの組み合わせ決め用フリートレースに朝、海に向かう電車を途中下車して参加したエピソードなどがありつつ、1回戦の相手はフランスになりました。
9レース5本先取のフォーマットで、このときは1人あたりの参加レース数規制がゆるく、私は6レースに出場しました。そのうち3レースで勝利をおさめて、他のメンバーでもう2本取ってくれました。
自分でいうのもなんですが、ネーションズカップ史に残る好試合だと思うので、見てない方はぜひ見てみてください。
・配信アーカイブ
・バルクヘッドマガジン記事
2回戦の相手はスペインでした。この頃のスペインはとても強く、個々の力だけでなく、チームレースの完成度もフランスより高かった印象があります。
フランス戦が終わってからも毎日のようにチームレースの練習をしたと思いますが、手も足も出ずに負けました。何をやってもうまくいかず、すごく惨めな気持ちになったことを覚えています。
・配信アーカイブ
・バルクヘッドマガジン記事
・Soheiさん作のトーナメント表(優勝はイギリス)

5. 日本VRIクラブチャンピオンシップ
2020年最後の大会は、私自身が企画に携わった日本人コミュニティの大会。日本一を決めるのが年1回では物足りないという思いと、年に一度はお祭りみたいなことをやりたいという思いから生まれました。
この大会ではフォーマットをより自由に設定し、EJCでは測りきれなかったVRIの実力を測ることが狙いでもありました。
この年のフォーマットは、不具合で使用できなかったAC75以外の全艇種を使い、最後に上位2名でStarのマッチレースをするというものでした。
EJCの上位選手が何人か出てない代わりに、EJCには出てこなかった新しい選手がたくさん参加してくれました。
私はクラブレースのように運営をしながらの参加でしたが、パフォーマンスにさほど影響はなく、2位以下に大差をつけてマッチレース進出を決めました。EJCでは最後の最後にフルヘルプをつけましたが、今回はすべてのレースをノーヘルプで走りました。
マッチレースは私が1位通過のアドバンテージを持って1回勝てば優勝、2位通過のVegasさんは2回勝てば優勝でした。1回目のマッチはラストレグまで勝負が続きましたが、最後は私が逃げきって決着しました。

・配信アーカイブ
・バルクヘッドマガジン記事
ちなみに配信アーカイブを見ると分かるとおり、私のアカウント名はKG-R/Toshiki Kogure になっています。これは大会の少し前に KG-R から改名したもので、VRIから認証マークをもらうときに、本名をアカウント名に入れてくれと言われたためです。
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