世界選手権2024 予選, 準決勝
- Toshiki Kogure
- 2024年10月4日
- 読了時間: 6分
更新日:2024年10月26日
今年の世界選手権は、フォーマットが新しくなりました。一番の変更点は、準決勝に80人進出することと、その準決勝を2回に分けて行うことです。
それに合わせて予選の進め方も少し変わり、これまでの予選3回+プレイオフから、予選6回でプレイオフなしになりました。各予選から12名が準決勝に進み、残りの8名はワイルドカードと、ウェイティングリストから選ばれた人で埋められることになりました。
予選1
3月に開催された予選1は、決勝が午前2時から6時という日程だったので、腕ならしに予選は参加しましたが、予選決勝は参加しないつもりでした。
試合時間が4時間と長いのは、予選決勝を最大80人で戦うのと、予定レース数が10レースと多かったからです。半分以上は待ち時間でした。
私は予選決勝の直前になって、朝2時からのレースがどれほどのものなのかを知るためだけに参加することにしました。1レース目は寝すごし、R2から参加しましたが、まったく頭が働かずに59位で、R4で敗退しました。
・成績表
予選2
4月に開催された予選2の決勝は、22時から2時までと比較的ましだったのでここで通過するつもりで参加しました。
ちなみに予選は思ったより点数が伸びず、75.2点で44位でした。

世界選手権の予選決勝は、これまで苦戦した経験がないので自信があり、今回も楽な気持ちで臨みました。R1から順調に前を走って余裕でいると、R4でスタートから大きく出遅れ、コース引きも間違えて最下位近くを走りました。R5では調子を取り戻し、5位でゴールドフリートに進出しました。

・R1~5の成績表全体
1時間半待たされ、日付けが変わった後、ゴールドフリートが始まりました。昼過ぎに寝ていたので、そこまで眠くなりませんでした。
暫定1位、2位の選手に大きくリードされた状態でのスタートでしたが、大きなミスをせず、半分よりも上の順位を取りつづけ、R4で大失敗したILCAで今度は1位を取りました。ゴールドフリートの成績だけ計算すると上から2番目の出来で、総合3位につけました。
R5終了時の上位2名はゴールドフリートで苦戦していて、その差がかなり小さくなったので、最後のメダルレースで逆転を狙っていました。メダルレースはスタートしたものの、制限時間がどうのこうのという理由でノーレースになりました。
記録に残らないそのレースで、私は1位でフィニッシュしました。上位2名は少し後ろのほうを走っていたので、成立していれば逆転していたかもしれません。
私はあたかも1位になったような気持ちで布団に入りました。

・R6~9の成績表全体
・配信アーカイブ
準決勝
2回に分けて行われる準決勝は、Aが9月8日5時から、Bが9月8日22時から行われました。参加選手は指定された時間に参加したいグループを申告し、早い者勝ちで決まりました。多くの人は希望どおりのグループに入れた様子でした。
私は朝に良い調子を作るのが難しいので、準決勝Bを選びました。各準決勝の上位5名が決勝に進出できます。
準決勝に国ごとに何人出場するのか気になって表にまとめてみたところ、日本の12名が最多でした。

A, Bに分かれた後の表も作りました。日本はきれいに6名ずつに分かれ、決勝への大量進出を狙える形でした。どちらのグループも強敵ぞろいで、決勝進出は例年どおりの狭き門でした。
準決勝前の状態としては、前年のようなスランプには陥っておらず、体調さえよければなんとかなるだろうと思っていました。継続的な練習のおかげかもしれません。
前日や当日の過ごし方はいつものように、前日はそこそこ練習して当日はあまり練習しないようにしました。やや夜遅めの開催なので、短めの昼寝もしました。ところが、昼寝の後、緊張のせいもあってか頭が重くなりはじめたときは少し不安になりました。レース直前には症状が若干やわらぎました。
蓋を開けてみると、R1はスタートで出遅れるも4位、R2は最高のスタートで1位と好調でした。R3はまたスタートで出遅れ、途中で予期せぬペナルティもありましたが15位で留まりました。
R4もスタートはやや出遅れつつ、1上の途中までは良いところを走っていました。1上終盤のコース引きでタックのタイミングを間違えてそれまでの高さを失い、1下、2上とミスが続いて31位になりました。これまで稼いでいたリードを使い果たして1位から7位まで落ち、5位とは4点差になりました。
どれくらい走りに影響したかは分かりませんが、R3以降はボーダーラインのことを意識していました。
朝の準決勝Aを参考にすると、80点以内であれば決勝進出ができそうでした。その80点のことを考えすぎて、意識が攻めから守りにかわり、大失点につながったのかもしれません。
上位20名に絞られた後のR5はOffshore Racerで、上ピンが有利になることが多いです。私は上ピンからのスタートがなんとかできたのですが、タック時に下側の艇と接触してペナルティを受けたことでいっきに苦しくなりました。
その後のコース引きは冷静になり、11位で耐えることができました。ボーダー的にも、心理的にも11位はセーフでした。
R6のStarはスタートのタイミングこそよかったものの、場所が悪くて大きな右振れをつかめず、ほぼ最下位まで落ち、1下、2上も上げることができないまま、17位で最終レグに入りました。
ここで前の集団が右に行ってくれたので左に行き、艇団から離れることでごぼう抜きを狙いました。後ろの艇も左に大きくは寄せてこなかったので、左側で誰とも争うことなくフィニッシュラインに向かいました。
するとフィニッシュラインのやや手前で、右斜め前にいたAmos DBが自分の順位を捨ててなぜか大きく左に寄せてきて私に絡んできました。
私は一瞬混乱しましたが、まずは争いを避けようとしました。しかし相手はしつこくつきまとい、どちらかのペナルティにより決着をつける必要がでてきました。危ない接触の仕方でしたがなんとか勝ち、相手のブランケから逃げながらフィニッシュしました。
この無用な争いの間に右側の何艇かに抜かされてしまいましたが、11位まで上げることができました。
R6終了後、総合順位は7位で73点、5位とは3点差、ボーダーの80点まで7点でメダルレースに進みました。
上位10名だけで行うメダルレースの艇種はF50で、コースは従来のものと少し違いました。準決勝Aの配信アーカイブで予習して、助走距離が短く、最初のリーチングレグが長いため、スタートはスピードが何よりも重要だと考えました。長い待ち時間の間に、スタートラインに到達するまでの秒数を念入りに調べました。
あとは自分の気持ちをコントロールするために、自分自身にいろいろな言葉をかけました。
ついにメダルレースのスタートのカウントが始まると、抜かすべき相手のことは何も考えず、計画どおりUターンスタートの実行に移りました。Uターンスタートとは、F50で右端のバウンダリまでリーチングでスピードをつけて接近してからジャイブしてスタートラインに向かう方法で、理論的には一番スピードがついた状態でスタートできます。
そのスタートが驚くほどきれいに決まり、1位で1つめのマークを回ると、1下までは危なげなく順位を保ちました。1下のマーク選択と2上のコース引きで小さなミスが出てしまい、最終的には3位まで順位を落としましたが、総合得点を79点でまとめ、5位に上がって決勝進出を決めました。

・成績表全体
・配信アーカイブ
Comments